2012年7月23日月曜日
2012年7月2日月曜日
片山梨絵、ロンドンオリンピック出場決定!
『一緒に夢を見てくれる人たちと繋がるために。……共に夢の力を信じて下さい』
OFFROAD to LONDONのHPを開設する際、梨絵さんはこうコメントを書いた。
2011年序盤は快調に結果を出し、スペインとポルトガルのUCIクラス1レースで2勝をあげ、
ワールドカップ#イギリスでは過去最高の25位。国別ランクも14位まであがった。
でも一人で頑張りすぎてしまい、ワールドカップ#カナダでオーバーワークに陥り、
次戦ワールドカップ#アメリカをキャンセルして帰国。全く走れなくなってしまう。
次戦ワールドカップ#アメリカをキャンセルして帰国。全く走れなくなってしまう。
『ごめんなさい』と謝るばかりで、このまま辞めるんじゃないかと思うほどだった。
作っていた応援Tシャツを販売すべきかどうかも迷った。それほど体調が悪かったのだ。
竹谷さんに相談して今は回復するのを見守っていこう、ということに。
体調が完全に戻らないまま迎えた2011年の全日本。
必死に富士見のゲレンデを登る梨絵さんに「頑張れ!」と声をかけられなかった。
もう十分に頑張ってる。これ以上どう頑張ればいいんだ。。
必死に富士見のゲレンデを登る梨絵さんに「頑張れ!」と声をかけられなかった。
もう十分に頑張ってる。これ以上どう頑張ればいいんだ。。
しかし、悪いながらも意地で優勝してみせた。
ゴールラインを切った時の安堵の表情と
噛み締めるようなガッツポーズが今でも忘れられない。
SLm Vol.3のインタビュー記事。
『OFFROAD to LONDONっていうのはひとつのチームで、
メカニックもいるし、ポイントのシミュレーションをしてくれる人もいるし、私は走る人だし、良い感じで役割分担っていうのかな、だから凄く前向き。今はO2Lの仲間がいるから走れてるっていう部分も大きい』
こんなこと言われたら泣けてくるじゃないか。。。
結果的に国別ランク18位に入ることができず、自力での出場枠獲得はならなかった。
外国勢は複数の選手を派遣してポイントを稼いでいるのに、日本は梨絵さんたった一人。
ハンデがあることは最初からわかってたし、それでも挑戦することを選んだんだ。
『ロンドンまでに自分が出来る最後の仕事が八幡浜優勝』と宣言した代表選考レースで勝利。ゴール後に泣き崩れる姿をみて、背負ってきた重圧と2年間の想いが痛いほど伝わってきた。
そして翌週の全日本では9連覇を達成。圧巻のスピードで世界の走りを披露した。
この時はすがすがしいまでの笑顔で完全復活。
どこまで強い人なんだ。。。
全日本後、梨絵さん主催の打ち上げで
『自力で枠取れなかったけどOFFROAD to LONDONをやってよかった。
やらないでダメだったのと、やってダメだったのでは全然違う』と泣いたんですよ。
正直、これでO2Lの仕事は全てやりきった、と思った。
ところが!
補欠の4番目で奇跡の出場枠獲得!!
自転車の神様は見捨てていなかった。
一緒に夢を見て、その信じた夢が叶ったのだ。
努力した人と信じて応援してきた人の願いが通じたんだ。
ずっと応援してきて、こんなに嬉しいことはない!!
本当に本当によかった。。。
『OFFROAD to LONDON 〜ロンドンオリンピックへの道』
まさに山あり谷あり、切れかけたオフロードの道がロンドンまでつながった。
8月11日、ロンドンで躍動する片山梨絵を応援するのが本当に楽しみだ。
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